須賀物語-神宮寺から始まった須賀の児童教育-

神宮寺の郷学校が始まり

明治5年当時の堺県で管内を分区して各区に一郷学校本校と数カ所の出張所を設ける布達を出しました。
須賀(当時の名称:錦郡新田)は、本校を極楽寺(河内長野市古野)に学区内九ヵ村の一つの分校として、神宮寺に設け奥井貞治を教師に40人(男33、女7)の子ども達に筆道を教えました。これが須賀の教育の始まりです。他の区は、錦郡村(現在の錦郡小学校)、彼方村、鳩原村、小山田村、原村、大野新田、市村新田の各会所、寺社等に分校が、設けられました。

政府の義務教育が開始。現在の千代田小学校で学ぶ

●明治5年 政府は、学制を頒布し小学校を中心に全国に義務教育を実施する事になる
●明治6年 学区が河内国第六番小学校(四津盛松寺)に移る
●明治7年 市村新田(河内長野市木戸町)「地蔵寺」の本堂跡に移転(小山田村と分離)
●明治23年 小学校令により「市村野尋常小学校」と改称
●大正6年 千代田尋常高等小学校が現在の場所に新築される

現在の錦郡小学校へ

大正15年 当時の学校制度の変更により、錦郡尋常小学校に須賀の子ども達の通学が始まりました。
(修業証書 左は、大正十五年千代田尋常小学校。右は、昭和二年錦郡尋常小学校。)
●昭和2年錦郡尋常小学校改築地鎮祭記念 精華小学校(大阪市南区)の木造校舎一棟を譲り受ける
●昭和4年錦郡小学校卒業式

昭和へ

昭和 2年 精華小学校(大阪市南区)の木造校舎一棟を譲り受ける。
昭和 5年 新校舎落成
昭和16年 国民学校令により錦郡国民学校に(戦中)
昭和22年 教育基本法施行により町立錦郡小学校となる(戦後)
昭和25年 富田林町が市制施行。市立錦郡小学校となり、現在に至る
 

昭和52年伏山台小学校開校

寺池台小学校より分離する形で開校。翌年より須賀西地区の児童が 通い始めました。

富田林市史第三巻参照

伏山台小学校校舎・体育館の建設